縁起・由緒
今をさかのぼる三百年前、萬海禅師が同郷の荒木光品居士の帰依寄進を受け、大愚宗築禅師を勧請開山として開かれた禅寺です。
法輪寺は、今をさかのぼる三百年前、萬海禅師が同郷(伊勢)の荒木光品居士の帰依寄進を受け、大愚宗築禅師を勧請開山として開かれた禅寺です。この時代に新寺建立することは難しく、鳴滝村にあった三蔵院の古蹟を復興移築するという手立てにより十年の歳月を要して建立されました。
創建当時は、三蔵院法輪禅寺と称しました。文政の京都大地震や明治維新の動乱、廃仏毀釈といった大難の時もありましたが、荒木家の外護と民衆の信心によって法灯が継がれました。
第十代の後藤伊山和尚は、太平洋戦争敗戦の国土・人心荒廃する日本の復興を祈念して起き上がり達磨堂を建立されました。禅宗初祖菩提達磨禅師の七転八起の精神である起き上り・忍苦・不倒の教えがシンボルとなり、以来通称だるま寺として親しまれています。
法輪寺の達磨と仏像
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達磨大師像
活眼(玉眼)起き上がり達磨大師。仏法伝来のインド・中国・日本の三国で起き上がり達磨大師を本尊にするお寺は、法輪寺が随一といわれています。
石上三年・面壁九年、雨だれ石をもうがつが如く、忍苦の精神を今に伝えております。ご真言(おとなえのことば)
「おん・だーま・そわか」
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金箔木彫 寝釋迦尊像(涅槃仏)室町時代
太閤秀吉公が三木城を攻め落とした際、戦乱で散った将兵や足軽農民の菩提を弔うために天台古刹伽耶院に奉納したと伝わる古仏です。江戸時代(享保年間)の当山創建時に開基荒木光品氏により招来寄進されました。
古来より「福(幸福)」・「徳(福徳)」・「壽(長寿)」の三福を授かるとされます。
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と三回お唱えします。 -
烏瑟沙摩金剛明王(うすさま明王)
この明王は東司(トイレ)に祀られる仏さまです。
不浄を浄めてくださり私たちの心の中も明るく照らしてくださいます。古来この仏さまを信心しますと「シモの世話にならずに済む」と病除け、また安産に御利益が有り「進んでトイレ掃除をする女の子は美人にしてくれはる」との言い伝えの仏さまです。ご真言(おとなえのことば)
「おん・くろだのう・うんじゃく・そわか」
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火防の達磨(ひぶせのだるま)
火災・盗難などの災禍より我が家我が身を守護くださります。
元は西宮順心寺に鎮座されていましたが、太平洋戦争の神戸空襲でお寺が灰燼に帰した中、達磨像は無傷であったため山田無文老師により火防達磨と命名されました。一時当山に奉安されましたが、戦後50年西宮へ帰山されました。
現在は光市西村竹子大姉の寄進により同寸同型の達磨像が奉安されています。 -
隻履帰天達磨像
達磨大師は150歳と長命され中国河南省熊耳山に眠られました。或る時達磨大師のお墓参りに来た弟子が来たとき、墓が空っぽで片方の沓(はきもの)だけが残されておりました。その後西域からの旅人が、老僧が片方の沓をもって西へ行かれる(インドの方向)姿をみたことから、達磨大師がなすべき伝道をおえて故郷に帰られる姿だったのではと伝わります。
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蘆葉達磨像(江里宗平大仏師作)
達磨大師はインドから中国に来られ、嵩山の山中に籠って面壁九年の行に入られます。大師の神通力で葦の葉が舟になり、長江(揚子江)をさかのぼって嵩山に行かれた伝説が残されます。
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十二干支達磨
達磨大師を中心に干支の十二支が囲みます。
生まれ歳の干支と守護佛をお参りして心身の健康・心願成就を叶えてくださいます。 -
弁財尊天※非公開(べんてんさま)
當山の鎭守大弁財天さんは七福神中ただ一人の女性です。
元は河川の神さまであり万物を生み出す豊饒の女神さまでもあり、特に学問・技芸・言葉・音楽などの守護神であります。万物を生み出す御利益から財福にも御利益をくださいます。ご真言(おとなえのことば)
「おん・そらそばてい・えい・そわか」
法輪寺の建物
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達磨堂
全国から所願成就に奉納されただるまさんがたくさん並んでいます。
だるまさんは大きく眼を開かれ、私たちに「眼を開け=人生を正しく歩め」とお示しになられております。
ころんでもころんでもおきあがる姿で不倒精神の根本を自らお示しになっておられます。 -
本堂
禅宗様式による建築です。屋根にはだるまの形の鬼瓦があり、本堂正面には、江戸期の高僧中山国(琉球)月羅山揮毫の「転法輪」が掲げられています。
本尊様には釈迦如来坐像(おしゃかさま)を中心に文殊菩薩坐像・普賢菩薩坐像を奉安しております。 -
衆聖堂
衆聖とは「おおくの聖者がおわす」という意味で、あまたのだるまさんはじめ、2階には観音菩薩、また当山開山の大愚禅師・萬海禅師の開山堂、歴代住職を祀る祖師堂、開基荒木家の歴代位牌を祀る霊屋、位牌堂、映画関係者の位牌を祀るキネマ殿と大平洋戦争戦没者慰霊殿となっております。
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鐘堂
享保十六年(1731年)開基荒木光品宗禎居士に寄進されましたが、明治維新の混乱を避けるため大藪に埋められました。後昭和十年に発掘されましたが、太平洋戦争が勃発し寺院の梵鐘が供出される中、供出を免れ今日まで美しい音色を響かせています。
梵鐘には弁天様が舞楽を楽しむさまが鋳刻されており、古来から弁天鐘として親しまれています。 -
庭園(無尽庭)
山田無文老師命名、右京鳴滝植音主人作庭。
禅の教え「山河尽きることなし」(永遠なる仏心)を表す、48個の石を配置。右側正面の石(鞍馬石)は牛が咆哮する姿、また牛を悟りの象徴とする十牛の図とも重なり心牛石と銘されています。
宗派 | 臨済宗 妙心寺派 |
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本尊 | 釈迦如來 |
創建 | 享保3年(1718年) |
開山 | 勧請開山 諸相非相禅師 大愚宗築禅師 |
創建開山 | 萬海慈源禅師 |
開基 | 法輪院祥雲宗禎居士(荒木光品 伊勢安濃出身 屋号伊勢屋 両替商) |